皆さまは「甘麦大棗湯(かんばくたいそうとう)」という漢方薬をご存じでしょうか。健康保険でも使える、ごく身近な漢方薬です。原料は、甘草(かんぞう:醤油にも含まれ、ハーブティーでもお馴染み)、小麦の実、そして大棗(なつめの実)。どれも、ほとんど“食品”と言ってよいほど日常的な素材です。
 ところが、このありふれた食材の組み合わせが、パニック発作や突然の不安に襲われたとき、心を穏やかに鎮めてくれるとされ、心療内科や精神科でも処方されることがあります。
 私自身も、以前極度のストレス下に置かれてパニック状態に陥った時に試しに飲んでみたことがありますが、飲んだ途端に気持ちが落ち着きその即効性・著効性に驚かされた経験があります。

 「特別な薬ではなくても、人は大きく変わることがある」――そのことを思い出させてくれる存在でもあります。

 漢方治療では、「医食同源(いしょくどうげん)」「薬食同根(やくしょくどうこん)」といった言葉が示すように、日常的に「食品」としても使われる薬草などの特性を活かした治療が少なくありません。「特殊で高価な薬」よりも、「ありふれた自然の素材」の良さを最大限に引き出す治療こそが、漢方治療の王道であると考えられているのです。
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■ 介護の世界でも大切なのは「特別な何か」より“当たり前の積み重ね”
 海外から紹介され、日本でも広まりつつある介護アプローチをご存じの方もいらっしゃると思います。
 ユマニチュードという認知症ケアでは、
・相手の目を見て話しかける
・やさしい手つきで触れる
といった、誰にとっても自然で当たり前の関わりを大切にします。
 また、オープン・ダイアログという対話の手法では、
・患者さんの主体性をできる限り尊重する
・相手を「意思をもった一人の人」として扱う
――そんな基本的な姿勢が重視されます。
 そして、海外では統合失調症の症状が劇的に改善した例も数多く報告されています。
 実は当施設でも、「看取り目的」でご入所された方が、再び普通に食事をとり、笑顔で過ごされるようになった例は珍しくありません。
 奇跡のように見える改善も、特別な薬や特殊技法によるものとは限らず、日々の地道な関わりの積み重ねが大きく寄与しているのだと思います。
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■ 当施設がめざしている介護
 認知症の介護では、「帰宅願望」「徘徊」「介護抵抗」などの言葉がよく使われます。
 しかし、こうした“行動のラベル”だけを見ると、つい「どう抑えるか」という対処に意識が向かい、向精神薬が安易に使われがちです。
 当施設では、
薬によって“抑え込む”のではなく、行動の奥にあるその方の“思い”に耳を傾けたい
――そう考えています。
 帰宅したいのは「家が恋しい」のかもしれません。
 歩き回るのは「落ち着かない気持ちを伝えたい」のかもしれません。
 介護に抵抗するのは「恐い」「恥ずかしい」「わかってほしい」というサインかもしれません。
 向精神薬の使用は、量も期間も“必要最低限”に。
 まずは漢方薬や非薬物的なアプローチを活かしながら、その方が本来もっている力を引き出すことを大切にしています。
 スタッフ一人ひとりが、日々の当たり前の関わり――
目を合わせる、声をかける、優しく触れる、気持ちを理解しようとする
――その積み重ねこそが、入所者さまの安心や回復につながると信じているからです。
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■ おわりに
 “奇跡”は、特別な薬や特別な技法だけから生まれるものではありません。
 むしろ、誰にでもできる小さな関わりの積み重ねが、思いがけない力を発揮することがあるのです。
 当施設は、そのような「当たり前を

丁寧に積み重ねる介護」をめざして、今日も入所者さま一人ひとりと向き合っています。

介護老人保健施設ほのか 施設長 池淵透